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春秋苑 災害復興支援記録(粕川 聡)

春秋苑 東日本大震災復興支援 記録

これは、春秋苑による東日本大震災復興支援の記録です。

時間とともの忘れ去られてしまわないように、定期的に復興の状況を記録にし公開します。

春秋苑 東日本大震災復興支援視察(1)

 

■被災地視察参加者
写真右より・・・
・宗教法人信行寺 浅野 弘毅 代表役員
・浄土真宗本願寺派 称名寺 出口堪龍住職
・滋賀県議会 成田  政隆 議員
・寝屋川市議会 吉羽  美華 議員
・摂津市議会 三宅 秀明 議員
・サンエクセル(株) 代表取締役 竹内 沙也香 氏
 
コーディネーターとして参加したのは下記の二名です。
気仙沼市で震災被害に遭われた、カネショウ原田商店 原田浩之氏
ゆめやかた奥州藤原歴史館(信行寺災害対策室) 粕川 聡 
 
~協力会社~
岩手急行バス株式会社・有限会社あべちう(お弁当)
 
 
はじめに
平成23年3月11日に発生した未曾有の震災「東日本大震災」から3ヵ月が経とうとしておりますが、未だ復興が進まぬ被災地へ、浅野代表他5名の視察団が現地に入りました。
1章 気仙沼市・大島地区

 

1.1 視察の旅へ
視察団一行は6月2日(木)朝、東京駅を6時12分発の東北新幹線やまびこ251号で岩手県の一ノ関駅に9時12分到着。
その後、マイクロバスに乗り、第一の訪問先となる気仙沼市大島地区へと向かいました。
気仙沼市大島へは、気仙沼側に位置する乗船場(エースポート)より船に乗る事約20分で到着。
1.2節 大島地区

 

着後、大島災害対策本部の手配によるマイクロバス(民宿亀山荘所有)に乗車し、本部へと向かう。 マイクロバスを運転して下さったのは、地元在住の小松様(物資輸送船かねき丸の船長)。 小松様も今回の震災被害者であり、自宅が全壊の中、大島復興の為、震災以来日々活動をされている方です。
大島災害対策本部

大島災害対策本部に到着後出迎えて頂いたのが、気仙沼市役所大島出張所長齋藤様(写真3段目右)と災害対策本部長の白幡様(写真3段目左)です。

マイクロバスにて島内の視察

 

まず震災発生から現在に至るまでの説明を頂き、その後再びマイクロバスにて島内の視察へと向う。
島の状況説明には、白幡災害対策本部長が同行して下さいました。
衝撃的な惨状

私は何度となく足を運び、震災後の状況を見て参りましたので当初に比べますとだいぶ瓦礫などの撤去が進んでいると感じましたが、視察の皆様にとってはとても衝撃的な惨状として感じられた事と思います。

亀山山頂より大島

白幡災害対策本部長より、観光地である亀山山頂より大島を一望する事にしましたが、あいにくの天候で、残念ながら全体を見渡す事はできませんでした。

浅野代表より不足している物は何か?

浅野代表より不足している物は何か?と質問をすると思いもしない物が無くて不便であるとの話に一同納得をした場面も・・・ それは、“ズボンはあるがベルトがない”など、我々が普段当たり前としている物が当たり前でない状況である事を改めて痛感した。

1.3節 気仙沼市

 

島内を一通り回り帰りの船に乗船前、白幡本部長との再会を約束し、一行は気仙沼市内へと向かいました。
一行は気仙沼市に戻り、市内の視察を行いました。
ここでは、気仙沼市で震災に遭い被災者となってしまった原田様の案内で視察を行いました。
実際に被災された方の生の声を聴きながら見て回る事はとても悲しい気持ちになりました。
視察車両の関係上、幹線道路沿いしか入る事が出来ませんでしたが、原田様の説明により当時の状況から現在に至るまでの事がよく分かりました。
現場では今もなお捜索活動が進められております。
5月末日での気仙沼市の死者は950人、行方不明者は544人となっています。
現場で捜索に当っていた警察官や自衛隊の皆様には本当に“お疲れ様”といった気持ちです。
一行は気仙沼市を後に、次の訪問地陸前高田市へとバスで向かいます。
2章 陸前高田市

 

2.1節 壊滅状態の三陸海岸
気仙沼市から陸前高田市への車中にて、遅めの昼食を取りながらの移動となる。車内から右手に見える沿岸地域は、通常であれば三陸海岸特有のリアス式海岸地帯が広がり、景色を楽しめる観光コースともいえます。
しかしながら、今はその限りではない。
低地はことごとく津波により被害を受けており、従来の町並みは跡形もなく壊滅状態である。
国道45号線を北上途中、至る所に「津波浸水警戒想定地区」の看板が目についた。 災害前、まさかこんな場所まで津波が来るとは・・・と信じられずに警戒看板を見ながら通行していましたが、震災後、本当にこの看板まで浸水してしまっている事に改めて津波の恐ろしさを感じました。
360度、津波被害により壊滅状態である陸前高田市の説明を原田氏から頂き、更に今回の震災の凄まじさを痛感致しました。
2.2節 陸前高田市役所仮庁舎

 

その後、陸前高田市役所仮庁舎を訪問。
ここでは、陸前高田市企画部企画政策課、政策推進係長兼秘書係長の村上知行氏より説明を受けました。
既に仮設住宅の建設(入居)も進んでおり、避難所から仮設住宅へと移る方々も増えてきている中ではあるが、まだ避難所生活を余儀なくされている方々もいるとの事であった。(現在の避難所数は30カ所・避難者数は1400人ほど)
現在では、仮設住宅入居者や在宅避難者に対しての物資の配給は徐々に減らしているとの事です。 
視察団からの質問として、まず今後のボランティア活動についての質問が出ました。
 
2.3節 大掛かりな瓦礫撤去から木目細かな支援へ

 

今迄は大きな瓦礫撤去など重機を必要とする作業が中心であり、専門的な知識や経験を持った者が必要であったが、こういった形のボランティアも落ち着きを見せてきている中、これから夏に向けて学生ボランティアなどの力も必要となるとの事でした。 現在立教大学の学生が陸前高田市と以前から親交があり、ボランティア活動を実施しているとの事でした。
また“炊き出し”活動について質問をしてみると、避難所も縮小傾向にある為、“今は必要無い“との事でした。
2.4節 避難者数528人を訪問

 

今迄は大きな瓦礫撤去など重機を必要とする作業が中心であり、専門的な知識や経験を持った者が必要であったが、こういった形のボランティアも落ち着きを見せてきている中、これから夏に向けて学生ボランティアなどの力も必要となるとの事でした。 現在立教大学の学生が陸前高田市と以前から親交があり、ボランティア活動を実施しているとの事でした。
また“炊き出し”活動について質問をしてみると、避難所も縮小傾向にある為、“今は必要無い“との事でした。
この後、本日最後の訪問先である大船渡市へと向かう。
3章 大船渡市

3.1節 瓦礫の撤去の地域差

陸前高田市から大船渡市までは約30分で到着。
大船渡市内の被災状況を確認するが、隣接する同じ岩手県の市なのに、こんなにも瓦礫の撤去に差がある事に視察の一行は驚いた。
なぜなのか? 
陸前高田市の場合、市全体及び市役所までも震災被害に遭い、仮の庁舎で対応に当いる。行政に携わる人達も“何とかしよう”という気持ちが強いのかもしれない。反面、大船渡市については、市役所を含む市の行政機関は殆ど無事であり、行政の危機感は希薄に感じられた。
3.2節 実際にはどうなのか?

 

何が原因なのか?についてメンバーから疑問の声が出た為、急遽大船渡市の災害対策本部に連絡し、状況説明をして下さる担当者とのアポイントを取る。
すると大船渡市副市長が応対して下さる事となり、大船渡市役所へと向かう。
突然の訪問にも快く対応して下さいましたのは、大船渡副市長の紀室輝雄様と大船渡市総務部総務課課長金野博史様です。
まず浅野代表より今回の視察の趣旨を副市長に説明。
すると副市長より震災から今日に至る経緯を説明して頂いた。
現時点での被害状況は、死亡者数320人・行方不明者数140人・建物被害(全壊・半壊)3.629戸物的被害約977億円・・・などの説明の他、当時の状況を詳しく説明して頂きました。
浅野代表から、今不足している物は?との質問に対し、夏物の布団が欲しいとの要望があった。大船渡市の夏物布団の在庫は現在0である。近々東京の小金井市から夏物布団の支援がある予定だが、まだ十分ではない事を伺う。 
3.3節 漁師の命の漁船

 

また、漁船も8割ほど被害を受けていることを聞き、漁船などの支援は必要か?との質問をしてみる。 市側の回答として、県の漁連を通じて一括購入の予定である旨を聞く。漁船もやはり土地によって造りが違ってくるので、岩手県の漁連を通じて購入をするとの事です。
大船渡市の津波震災復興計画は、7月頃までに定めるとの事です。
3.4節 学生ボランティア

 

今後は他市同様、人の手によるボランティアが必要とされてくる。代表より夏に向けて学生ボランティアを集めて支援させて頂きたい旨を伝えると、ボランティア担当の大船渡市生活福祉部保健福祉課長・福祉事務所長の志田俊一様をご紹介頂きました。今後仮に大船渡市とボランティアの話が進んだ際は、この担当者と打ち合わせをする事になります。
おわりに

 

最後に代表より、赤十字に寄付をする事は簡単であるが、そのお金が何処の何に使われているのかが見えてこない。具体的にこれを造りたい(やりたい)からこれが必要だという目標があると支援する側もやり易い。何か形のなる物をまとめて伝えて頂き、粕川へ連絡を取るようにとの旨伝えた。
大船渡市を後に、一行は帰路に就く・・・
JR一ノ関駅に到着し、19:55発やまびこ268号にて東京へ帰京。
乗車までの間、一ノ関駅構内に設置された「応援ボード」に各々想いを寄せた。

© 2010 55未来プロジェクト「私の歴史館」実行委員会